その道、この道、かの道

先週木曜日、練習終えてスポーツクラブ外のベンチに座って話をしていると、
御大Mさんが乳モミ法師さんに自転車屋の話を振った。
二人の行きつけの『自転車屋さん』が、
3月中頃、予告なしに建物を取壊して、現在建替え中で
今、どこでどうしているのか分からないと言う。

その自転車屋さんは、横浜市道85号:“めがね橋”の近くにある。
そこから、二人で鶴見区界隈の話になり、
某菓子メーカー○△家の元社長の家と、その先代社長の家の場所になるわ、
北条早雲の家来の諏訪家絡みの『諏訪坂』の話になり、etc.。
さらに『東海道五十三次』の道に話が展開して
最後に行き着いたのは、箱根駅伝で有名な『権田坂』だけど、
保土ヶ谷宿の細い旧道の方だった、、、

家に帰ってから、『道』の確認をするのに、Google Map を見ると
“めがね橋”は『通称』で、“響橋”が正式名称なのを知った。
『諏訪坂』近辺の道路にはクランク(枡形道路)があるじゃないか、、、
(武家屋敷近辺は、敵が簡単に攻めて来れない様、クランクが当たり前。)

今度、サイクリングで『旧街道ツアー』の話が出ても参加しないぞ。
まるで、ロンド・ファン・フラーンデレンだ!

Comments

taro said…
響橋は昔、小高い丘で、
オリンピックに向けて国道を通すために、丘を削って造られました。

丘の上に先に橋を架けて(って云うか橋を置いて)、
それから下をくり抜いたんだそうです。

大量の土砂は、同じく国道建設予定地に掛かる沼(新子安あたり)の、
埋め立てに使われたそーです。

オリンピックの名残で、今でも橋の欄干に、
国旗を立てられる金具?が付いてる様ですよ。


…スイマセン(_ _)つまらないプチ情報でした。
taroさん、貴重なプチ情報を有難うございます。

お陰で横浜の道路の歴史が分かりました。
昔は『小高い丘』だったんですか?(信じられない)
第2京浜を通すのに削られ、今は橋だけじゃないですか、、、

機会があったら、橋の欄干を見たいものです。