川風は変わらない、、、

昔、上流から下流に45箇所あったという、多摩川の渡し。
江戸時代(?)から 昭和にかけて、東京~川崎を行き来した。

高度成長時代には多摩沿線道路拡張整備で、
中之島〜矢野口にあった桜並木は伐採。

昭和48年京王線相模線が開通し、最後の『菅(すげ)の渡し』は廃止した。
船頭小屋があった場所には 菅渡船場跡 の石碑があり、
その小屋は川崎市の重要歴史記念物指定、
現在は 日本民家園 に保存されている。

以上、ざっと調べてみた。

川岸に40軒あった川茶屋で唯一残った某川茶屋は、
83年続いたが、平成30年10月28日をもって閉店した。

混むであろう最終日に行くしかなく、
飲み友達さんに朝早くに連絡を取った。
正午前に行くと、川向いの市のごみ収集車が
前日にあった、花火大会 のごみを回収しているところだった。

お店の裏口前には店主のスクーターが停めてあった。
まだお店は準備中で、前のテーブル席に着く。
座って待っている人が他にもたくさんいた。

店主が出てきて、今日は大勢来るから、
もう一度戻って車でビール等を運ぶといって、
スクーターで出て行った。

軽自動車で戻ってきた時は、一部のお客さんが店の中に
瓶ビールのコンテナ等運ぶのを手伝った。
また、軽自動車に乗り、出ていくと、スクーターで戻って来た。
やっと、雨戸が外されて、店がオープンすると、
もう、注文の列は長い長蛇になった。

テーブル席一緒になったカップルや隣席の人達と
持参した酒とツマミで、たわいない話をして、
隣席の人には、買い出しの白鶴ワンカップを1本頂いてしまった。
川茶屋の注文はしないで、名残りを惜しんで帰った。

川の流れが時の流れならば、変わらない川風を受ける、、、
粋だな、目の前の打ち上げ花火を見納めにして。
店主さん、長い間お疲れ様でした。
あの甘ったれ猫と、いつまでもお元気でいて下さい。

花火あと 河岸来たり みせじまい







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